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11日、京の伝統産業わかば会から
龍村光峯さんでの工房訪問・見学にお邪魔しました。
今回は沢山の参加者がありましたので、2班に分かれ、
・龍村光峯さんのお仕事、作品についての説明
・高機の機織り体験
をさせていただきました。
「錦」とは、「丹(に)」+「白(し)」+「黄(き)」
からなる、 多彩な色を持つ美しい織物、
という意味なのだそうです。
錦の織物の美しさを鑑賞し、
それを美しく織るための楽しさと
難しさを体験させていただきました。
私が織っている「つづれ織」と「錦織」。
「織物」というジャンルは同じなのですが、
動作?作業?が結構、違います。
杼(ひ。シャトル。横糸を縦糸に通すための道具)
の持ち方が違う!
あし(ペダル。縦糸と連動している)
の踏む回数、踏む理由が違う!
これは…大変そうだけど楽しそう!
貴重な体験、ありがとうございました。
先日、大叔母の7回忌とお仏壇の魂抜きをしてもらいました。
永代供養にしてもらいます。
最近は生活形態の変化に伴い、増えているそうですね。
我が家は宗教に関して結構、
アッサリしてるなぁ~と思っていたのですが、
よくよく思い返してみれば、年忌はやってたし、
月命日のお参りもしてもらってたし、
別にアッサリしてたわけではないようです。
意志決定権がある人に対して
「貴方がそれがいいと思うなら、それでいいのよ」という
信頼からくるアッサリ感でしょうか?
少なくとも大叔母は、そう言いそうな人でした。
お仏壇にしてもお墓にしても、
たいがいの人が、ないがしろにしたくないから
悩むんだと思います。
一族が同じ土地に住むとは限らなくなってきて、
でも放ってはおきたくないから、
自分の住む場所に来てもらったり。
ずっとお参りしてもらえる方法を考えたり。
大叔母は浄土宗でしたので、
お香の入ったお水をつけた、梅の枝で清めながら
お仏壇の仏様とお位牌の魂に、浄土へかえっていただきました。
ちなみに我が家は真宗で、
ここではお参りは死者の冥福を祈るのではなく、
その方を思い出すことで、
生や、仏教の教えとのご縁をいただくという考えだそうです。
『千の風になって』みたいな。
お墓にもお仏壇にも故人はいません。
この考え方も、結構気に入っています。
なのでふと、大叔母や大叔父を思い出したとき、
それがその人たちが遺してくれたご縁なのだと思っています。
「こ、こんな若輩者でよいのですか?!」
若輩者でよいのだと、おっしゃっていただいたので
僭越ながら、お話させていただくことになりました。
あまり背伸びしないで、お伝えできればと思います。
先日、10分の発表のために使った資料を
1時間の拡大版にしようとしています。
盛りまくり…。
私が知り得るかぎりの技術の説明をしようかな?
と思っています。
できるかぎり自分の仕事は
「希少な」とか「高級な」という言葉を
掲げたくないのですが、
じゃあなぜ私が使うのと同じ技術で織ったものは
だいたいのものが高価で、
同じ「つづれ織」と言い、「希少な」とうたいつつも
安価なものが存在するのか?
その辺りも説明しないといけないのかな?とも思います。
あなたの初仕事はなんでしたか?
私の初仕事は、厚紙のへりに紙やすりをかけることでした。